7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。(ヨハネの福音書15章7―8節)
イエスキリストがぶどうの木であり、キリストを信じる者がその枝であると語る有名な箇所です。枝である私たちが、ぶどうの木であるキリストにしっかりとどまる時に、その実を結ぶのであり、キリストとの親しい交わりが強調されています。そして8節によると、多くの実を結ぶことが、キリストの弟子であることの証であることも語られているのです。
7節に「何でもあなたがたのほしいものを求めなさい」とあります。これはもちろん、自分勝手に自分の欲しいものを何でも求めなさいということではありません。キリストのことばを蓄え、キリストとの交わりを深めていく中で、そのみこころを祈り、願うならば必ず実現するのであり、それが実であるということです。
この箇所を改めて読んで、もっと大胆に神様に求めていくことの重要さを思わされました。遠慮は一般的には美徳と考えられていますが、神様の前での遠慮は決して信仰的な姿勢ではありません。もっと積極的に神様に求め、実を結ぶ人生を歩んでいきたいと思います。