1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。(ヨハネの福音書9章1−3節)
イエス様と弟子たちが宮を出られると、そこに生まれつき目が見えない人が物乞いをしている姿を見たのです。その時弟子たちはイエスに質問しました。「彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。」
不幸や災害や、何か悪いことが起こったとき、私たちはその原因や理由を知りたい、過去にどんなことがあったからこんなことが起こったのかを知りたいという欲望に駆られるものです。確かにこの世は罪の世界であり、生まれながらの人間は皆罪人です。罪がこの世に入ったため、死もこの世に入りました。罪のゆえに、この世には様々な問題や悲劇が引き起こされます。またある罪によって、今大変な苦しみの中にある方々も多いと思います。しかし一般的に、ある特定の問題や災害、悲劇的な出来事を、特定の罪にその原因や理由を求めることができないことも多いものです。そしてこのような考え方は、私たちを過去に縛り、前進を阻んでしまいます。
私たちが大きな苦しみの中にある時、なぜこのように苦しむのかという私たちの問いかけに、神様は答えられないことが多いと思います。しかしその苦しみがあえて許された目的については、神様は明確に答えられます。それは神のわざが現れるため、また神の栄光が現れるためです。
キリストを信じる者は、どのような状況に置かれていようとも、それが最悪の状況のように思えても、なお神様のわざが現れることを信じ、期待していくことができます。今どのような状況に置かれていようとも、私たちは過去の出来事に縛られず、キリストを見あげて前進できる、これがキリストの福音なのです。