4 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(ヨハネの福音書11章4節)
ラザロが病気であるという知らせが、ラザロの姉妹たちであるマリヤとマルタから届きました。彼女たちにとっては、イエス様が一刻も早く来てくれて、兄弟であるラザロを癒して欲しいと願うのは当然のことです。しかしなぜかイエス様はラザロのところへ行くことを急がず、おられたところになお二日とどまりました。そしてラザロのところに到着した時には、ラザロは既に死んでおり、墓の中に入れられてから四日も経っていたのです。
しかし実はこれはイエス様の意図されていたことでした。イエス様はラザロの病気を癒すのではなく、ラザロを死からよみがえらせることを通して、イエス様には死の力を打ち破り、永遠のいのちをもたらす力があることを示されることを意図したのです。マリヤとマルタにとっては、大きな悲しみと苦しを通らなければなりませんでした。しかしそのような悲しみと苦しみを通して、よみがえりであるイエスキリストの栄光を体験することになったのです。
私たちは病気、また様々な問題や困難に直面します。そして病気の癒し、問題の解決、困難からの脱出を願います。もちろん神様は私たちのそのような痛みや苦しみをご存知で、私たちの願いに応えてくださることもあるでしょう。しかし神の願いは、私たちが永遠に価値あるものに目が開かれていくことです。そのために、単なる表面的な解決よりも、神の栄光が表されることを意図されます。神の栄光が表されるために、私たちにとっては、さらなる悲しみや苦しみを通らなければならないこともあるのです。しかしそれは、神が私たちを愛するゆえであることを覚えたいと思います。