12 その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、13 しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」(ヨハネの福音書12章12−13節)
イエスキリストが十字架にかけられる直前の日曜日に、イエスキリストはエルサレムに入城しました。人々は熱狂的に歓迎しました。その様子が12節と13節に描かれています。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」とは、旧約聖書詩篇118篇25−26節からの引用です。「ホサナ」とは、「救ってください」という意味です。人々はイエスキリストを救い主として歓迎したのです。
しかし人々にとって「救い主」とは、当時ローマの支配下にあったイスラエルをローマの圧政から救い出し、神の国を建てる王というものでした。これは神の計画ではありませんでした。実際この直後、人々の歓迎は「十字架にかけろ」と叫ぶ姿に豹変します。
神の計画は、イエスキリストが王として神の国を支配する前に、全人類の罪を負って十字架にかかるということでした。実は、先ほど引用した詩篇118篇25−26節の直前にこうあります。「22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。」(詩篇118篇22−23節)これは、イエスキリストが人々から捨てられ、十字架で苦しみ、そして人間の罪のために死なれる受難のしもべとしての姿を預言したものです。実際この通りに、イエスキリストは十字架で苦しみ、死なれたのです。
人々がどのように意図し、行動しようとも、神の計画は必ず成就していきます。イスラエルの民はローマからの解放者としてイエスキリストを歓迎し、その後イエスキリストを十字架へと追いやりましたが、彼らの思いや行動を超えて、神の計画は成就していったのです。イエスキリストは私たちを罪から救う救い主として来られましたが、やがて裁き主としてもう一度来られることが預言されています。これは必ず成就します。多くの方々が、この神の計画を信じ、イエスキリストを自分自身の救い主として受け入れられることを心から願っています。