18 彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真ん中にしてであった。(ヨハネの福音書19章18節)
新約聖書では、イエスキリストが十字架につけられる描写がとてもシンプルです。このヨハネの福音書19章においても、「彼らはそこでイエスを十字架につけた」と書かれてあるだけです。しかし、キリストの十字架上での苦しみの描写は、実は旧約聖書にあるのです。その代表的なものの一つが詩篇22篇です。キリストも十字架上で、この詩篇を引用されています。キリストは十字架上で大声で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。これはマタイの福音書27章46節にあるように「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味であり、これは詩篇22篇1節の引用です。
詩篇22篇14節から18節までに、こうあります。
14 私は、水のように注ぎ出され、私の骨々はみな、はずれました。私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました。15 私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます。16 犬どもが私を取り囲み、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。17 私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。18 彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。(詩篇22篇14―18節)
「私の骨々はみな、はずれました」とありますが、十字架刑においては、人間がその血液を失うことにより、文字通り骨が関節から外れてしまうそうです。この詩篇22篇は、十字架上の苦しみを見事に描いていると言われています。そして注目すべきは、この詩篇が書かれた頃には、まだこの地上には十字架刑は存在していなかったということです。聖書はまさに、時間を超越された神のことばであることがわかります。
キリストは私たちの罪のために十字架上で苦しみを受け、死んでくださり、そして三日目によみがえられました。キリストの苦しみは私たちが癒されるためであり、キリストの死は私たちが生かされるためであったことを、しっかり心に刻みたいと思います。