「一つとなるための祈り」(ヨハネの福音書17章20―26節)

20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。21 それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。(ヨハネの福音書17章20―21節)

ヨハネの福音書17章は全体がイエスキリストの父なる神様への祈りですが、最後にキリストを信じる者たちが一つとなることを祈られています。そしてその土台となるのが、21節に「父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように」とあるように、三位一体の神様です。父なる神、子なるキリスト、そして聖霊なる神様は、3人格でありながら、愛において完全に一つである神様なのです。

私たちが一つとなるといっても、私たち一人一人が全く同じように考え、同じように行動するということではありません。新約聖書では、教会をキリストのからだに例えています。からだには様々な器官があり、それぞれは全く異なり、機能も異なりますが、それぞれが一つのからだを構成し、またそれぞれが一つのからだにとってはなくてはならないものです。

私たち一人一人は、神様のみこころのままに、キリストのからだを構成する器官とされているのです。一つの器官の痛みはからだ全体の痛みであり、一つの器官の喜びはからだ全体の喜びです。器官とされていることの祝福と使命を受け取って、キリストのからだを建てあげていきたいと思います。

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