34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35 もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネの福音書13章34−35節)
イエスキリストの12弟子の一人であるユダが、キリストを裏切るために交わりから出て行きました。十字架への道筋が明確になったとき、キリストは残された弟子たちに新しい命令を与えました。それが「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」というものでした。
13章の前半でキリストは、「互いに足を洗い合いなさい」、つまり「互いに仕え合いなさい」と言われました。その仕え合うことが、キリストがご自身を私たちに捧げてくださった愛に基づくものであることを、私たちに求められているのです。
もちろんこの命令は、私たちの肉(生まれながらの古い性質)が出来ることではありません。キリストを信じる私たちのうちにおられる御霊がなすわざです。私たちの肉は御霊と完全に対立します。私たちが、古い自分がキリストとともに十字架にかけられ死んだといいうことを信じ認める時に、はじめてうちにおられるキリストが御霊を通して生きてくださり、「互いに愛する」という命令をなしてくださるのです。
この後、弟子の一人であるペテロが「あなたのためにいのちを捨てます」と言って、キリストにどこまでも従っていく宣言をしました。しかしキリストが預言した通り、ペテロは三度キリストを知らないと言って、キリストを裏切ってしまうのです。どんなに決意が固く、情熱があったとしても、私たちの肉にはキリストに従っていく力、キリストが与えた命令を実行する力はありません。キリストが与える命令は、キリストご自身が私たちの信仰を通して実行してくださるのです。その意味で、キリストの命令は私たちにとって約束でもあるのです。