「信じて理解する」(ヨハネの福音書20章1―10節)

6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。8 そのとき、先に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。(ヨハネの福音書20章6―9節)

イエスキリストが葬られた墓が空になっているという知らせを聞いて、キリストの弟子であるペテロとヨハネは墓に向かいました。8節の「先に着いたもうひとりの弟子」というのはヨハネのことです。彼が空の墓を見て、信じました。キリストがよみがえられたことを信じたのです。しかし9節によると、「イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。」とあります。これはどういうことでしょうか。

キリストの弟子たちは、キリストが十字架で死なれ三日目によみがえることを何度か聞いていました。しかしそれが人の罪の救いのためであり、神の計画であり、父なる神のみこころであることを理解できませんでした。彼らが、キリストの十字架と復活を聖書全体から理解するのは後のことです。しかしそれでもヨハネはここでキリストのよみがえりを信じたのです。

聖書を理解しないとキリストを信じることはできないと思っていないでしょうか。確かに聖書信仰は、決して盲目的な信仰ではなく、ある程度の理解は必要です。しかし完全には理解できなくても、キリストを信じる決断はできるのであり、またその決断が必要です。そして信じることを決断してはじめて、聖書が理解できるようになるということも真実なのです。

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