「十字架の傷跡」(ヨハネの福音書20章24―31節)

25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手の釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し込んでみなければ、決して信じません」と言った。(ヨハネの福音書20章25節)

週の初めの日にイエスキリストが現れたとき、弟子の一人であるトマスはそこにいませんでした。ほかの弟子たちが「私たちは主を見た」と言ったときトマスは「キリストの手の釘の跡を見なければ信じない」と言ったのです。ここで私たちは、よみがえられたキリストのからだには、十字架の傷跡があることが分かります。

トマスはその場の雰囲気に流されるような人物ではありませんでした。これまでの言動を見ると、勘違いや突拍子もないところがありますが、それだけ主を求めた人物であると言えます。そんなトマスにも主は現れてくださいました。八日後、つまり次の週の初めの日に、キリストは現れ、トマスに対してもその肉体に刻まれた十字架の傷跡を見せます。そしてトマスは告白しました。「私の主。私の神。」と。

キリストはトマスのためだけに現れたのではないと思います。キリストが再び弟子たちに現れたときも、戸が閉じられていたと書かれています。弟子たちはまだまだユダヤ人を恐れていたのでしょう。しかし何度もキリストが現れ、その栄光の姿を目撃しながら、だんだんとその恐れから解放されていったと思われます。

私たちの信仰も似たようなところがあります。何度も何度も、キリストの十字架と復活の栄光にみことばを通して触れていく時、私たちの信仰は成長し、様々な恐れから解放されていくのです。

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