「恐れから赦しの人生へ」(ヨハネの福音書19章1―13節)

7 ユダヤ人たちは彼に答えた。「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。」8 ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた。(ヨハネの福音書19章7―8節)

イエスキリストを尋問していたピラトは「ますます恐れた」と8節にあります。

まずピラトはこの時既に恐れに支配されていたのです。当時ユダヤ人のローマ帝国に対する反発は強く、ユダヤ人宗教指導者たちをうまく取り扱わないと暴動などが起きて、ピラトにとっては自分の政治生命を脅かす可能性があったのです。そこでピラトは何とかユダヤ人たちを宥めようとしました。ピラトはキリストに何ら罪を見出すことはできなかったのですが、それでもキリストをむち打ちにしてユダヤ人を説得し、キリストを釈放しようとしました。しかしユダヤ人は納得せず、「十字架につけろ」という声がますます大きくなっていきます。

その時ピラトは7節の言葉を聞くのです。「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。」ピラトは「神の子」という言葉を聞いてますます恐れました。ピラトはこれまでキリストを尋問してきて、キリストがただ者ではないと感じていたでしょう。それが、この「神の子」という言葉を聞いて、ますます恐れが大きくなっていったと思います。

考えてみると、生まれながらの人間は誰でも、心の底のどこかで恐れを持っているのです。それは自分が神に裁かれるという恐れです。最初の人間アダムが罪を犯した時、神の臨在から逃れて隠れようとしました。創世記3章9節と10節にこうあります。

9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」

ここに生まれながらの人間が持つ恐れの源が表されています。

キリストは私たちの罪のために十字架にかかり三日目によみがえられました。キリストは私たちに代わって罪の裁きを受けてくださったのです。キリストを信じ受け入れることから、私たちは恐れの人生から、赦しの人生へと歩み始めることができるのです。どうかこのキリストの赦しを、多くの人が受け入れてくださいますように。

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