知識がつまずきにならないために(ヨハネの福音書7章37−53節)

47 するとパリサイ人が答えた。「おまえたちも惑わされているのか。48 議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。49 だが、律法を知らないこの群集は、のろわれている。」(ヨハネの福音書7章47−49節)

ユダヤ人宗教指導者たちは、自分たちこそが律法に精通しており、律法をよく理解していると自負していました。そして律法を知らない群衆を見下していたのです。

しかし律法とは、イエスキリストを証しているものであり、イエスキリストを指し示しているものなのです。その肝心のイエスキリストに対して、当時のユダヤ人宗教指導者たちは目が開かれていませんでした。律法を知っているという誇りが、むしろ彼らを霊的に盲目にしていたということができます。

私たちにとっても、聖書の知識がむしろ私たちを霊的に盲目にしてしまうということがあるのではないでしょうか。

「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。」(第一コリント8章2節)

このみことばを心に刻み、常にイエスキリストご自身をより深く知ることを求めていきたいと思います。

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