「よみがえりであり、いのちであるイエスキリスト」(ヨハネの福音書11章17−35節)

25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネの福音書11章25節)

ラザロが死に、その姉妹であるマルタとマリヤは悲しみにくれていました。そのようなマルタにイエス様は言われました。「あなたの兄弟はよみがえります。」

マルタは言いました。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」それに対するイエス様の答えが25節で言われた、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」というものでした。マルタはあくまでも将来に希望をおいていましたが、イエス様は今ラザロはよみがえることを宣言されたのです。

イエスキリストを信じるものには、永遠のいのちが与えられます。この永遠のいのちは、単に時間的に長く生きるいのちではありません。また永遠のいのちは、私たちがこの世で死を迎えた時、つまり将来に始まるいのちでもありません。永遠のいのちは、イエスキリストを信じた時に与えらます。なぜなら、イエスキリストご自身がよみがえりであり、いのちであり、私たちが信仰によってこのイエスキリストとつながることが、私たちにとって永遠のいのちであるからです。

永遠のいのちという、この世のいのちとは全く質の異なるいのちが与えられるとき、私たちは今を生きる生き方が変わってきます。この世の価値観とは全く異なる価値観で生きるようになります。神の愛に応答して生きるようになります。それは、イエスキリストご自身が、よみがえりであり、いのちであるからです。

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