「礼拝者マリヤ」(ヨハネの福音書12章1−11節)

3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった、家は香油のかおりでいっぱいになった。(ヨハネの福音書12章3節)

イエスキリストがラザロを死からよみがえらせる御業を行い、そのセンセーションがいまだ止まないという状況の中での記述です。ラザロの姉妹であるマリヤが、大変高価なナルドの香油をイエスキリストに注ぐということをしました。この香油は三百デナリ、つまり当時の一般的な労働者のほぼ一年分の給与に相当するほど価値のあるものであったのです。マリヤは感謝に溢れていました。喜んで犠牲を払い、心からイエスキリストを礼拝したのです。

このマリヤの対照的な人物として、イエスキリストの弟子であるユダの姿が描かれています。ユダは金入れを預かっていましたが、そこから盗みを行っていたのです。しかしユダはマリヤの行為を見て言いました。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」ユダは、彼自身は意識していないと思いますが、マリヤの行為を見て、自分のうちにある闇が明らかにされるような気分であったのでしょう。ユダは他人を偽っていたと同時に、自分自身を偽っていたということができます。

マリヤはイエスキリストの足元にたたずみ、その語られることに耳を傾けていた女性です。イエスキリストの十字架の死が近づいていることを、マリヤは悟ったのかもしれません。イエスキリストはマリヤの行為に対して「マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです」と語りました。

イエスキリストは十字架の上で、全人類の罪を負って、その罪のない貴重な血潮を流されました。その価値は、もちろんお金では換算することができない、言葉では表現できないほど高価なものです。私たちはイエスキリストの礼拝者として、感謝に溢れ、喜んで犠牲を払い、自分自身を捧げていきたいと思います。

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