「神の栄光を見る信仰」(ヨハネの福音書11章36−44節)

40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(ヨハネの福音書11章40節)

マルタとマリヤの兄弟であるラザロが死んで4日が経過していました。死後4日が経過すると、死者が蘇生することはあり得ません。そのような中でイエスキリストは、ラザロが葬られている墓の石を取りのけるように命じました。マルタは言いました。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」それに対するイエスキリストの答えが、40節の「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」です。

死んだ者がよみがえることはあり得ない、これが多くの人々が持っている常識です。しかし聖書は、この世に罪が入ったために死が入ったと語っています。死はもともとあったものではありません。死は決して自然のことではありません。罪人となった人間は誰でもこの世ではいずれ死を迎えます。しかし神のいのちは永遠です。この神につながることによって、私たちにも永遠のいのちが与えられるのです。イエスキリストが「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」と言われたとおりです。

確かに私たちは、死と罪が支配するこの世に生きています。そのために、この世の人生がすべてであるという人生観や価値観で生きています。しかしイエスキリストは、このように罪と死に縛られている私たちを解放します。イエスキリストを信じる者は、この世の常識がもたらす固定観念を超えた人生観や価値観を持つことができるのです。いつも神の栄光を見る信仰で歩み続けたいと思います。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です