上から来られたお方(ヨハネの福音書8章21−8章30節)

21 イエスはまた彼らに言われた。「わたしは去って行きます。あなたがたはわたしを捜すけれども、自分の罪の中で死にます。わたしが行く所に、あなたがたは来ることができません。」(ヨハネの福音書8章21節)

イエスキリストは、ユダヤ人宗教主導者たちに、彼らが罪の中で死ぬこと、イエスキリストを信じない限り神の国に入ることができないことを明確に語り始めます。神の国とこの世にははっきりとした断絶があります。罪の中に死ぬとは、神様とは断絶された中で死ぬということです。これが霊的な真実です。死の本質は、神様との断絶であるということができます。

イエスキリストは、そのような神との断絶状態にある私たちを救うために、人となり、この世に来てくださいました。罪のないからだを十字架上でささげ、罪のない血潮を十字架上で流してくださいました。このようにイエスキリストがご自身を捧げられたのは、ただ私たちを愛してくださっているため、そして父なる神のみこころを行うためです。まさに、神の国とこの世を繋ぐ、架け橋、仲介者となってくださったのです。

28節でイエスキリストはこのように言われています。

28 イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。(ヨハネの福音書8章28節)

「人の子を上げる」とは、イエスキリストが十字架につけられることを意味しています。しかしその時、イエスキリストが父なる神様から遣わされた神の御子であることが明確に示されると語っているのです。

イエスキリストは「あなたがたが人の子を上げる」と、ユダヤ人たちがキリストを十字架に追いやることを言われました。確かに直接的には、ユダヤ人がキリストを十字架につけたのです。しかしイエスキリストは私たち全人類の罪のために十字架で死んでくださったのです。つまり私たち一人一人がキリストを十字架につけたのです。それほどまでに、キリストの十字架には、私たち人間の罪と、その罪を赦してくださる神の愛が示されているのです。

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