主の導きを前に見て(民数記15章1―21節)

1 主はモーセに告げて仰せられた。2 「イスラエル人に告げて言え。わたしがあなたがたに与えて住ませる地にあなたがたが入り、3 特別な誓願を果たすために、または進んでささげるささげ物として、あるいは例祭のときに、主へのなだめのかおりをささげるために、牛か羊の群れから全焼のいけにえでも、ほかのいけにえでも、火によるささげ物を主にささげるときは、4 そのささげ物をささげる者は、穀物のささげ物として、油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパを主にささげなければならない。(民数記15章1−4節)

神である主は、民数記の14章で、主に対してつぶやき続けた古い世代のイスラエルの民に対して叱責を与えたばかりでした。主は言われました。「この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。」(民数記14章29節)

しかし民数記15章に入ると、主は新しい世代の民に対して、約束の地に入ったあと、主を礼拝するために必要なささげものについて細かく指示しているのです。

私たちイエスキリストを信じる者は、荒野で死に絶えていく古い世代のイスラエルの民を私たちの死ぬべき肉になぞらえ、約束の地に入っていく新しい世代の民を御霊に導かれていく私たちになぞらえることができます。

私たちの肉は罪を犯し、失敗するものです。しかし私たちが、そのことをいつまでも後悔したり、こだわったりしていることを、主は望んでおられません。主が望むことは、私たちが悔い改め、主の導きを前に見て、前進することです。真の礼拝者として神を礼拝し、神の国を拡大するために前進することを、主は願っておられるのです。

どれほどの罪を犯し、失敗したとしても、悔い改め、主に導かれて前進できることは、私たちにとってこの上ない祝福です。

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