ユダヤ人の群衆たちは、宮で教えるイエスキリストに対してうわべだけのさばきを繰り返しました。彼らはこのように言いました。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか」「あなたは悪霊につかれています」また彼らは、イエスキリストが安息日に癒しを行ったことに腹を立てていました。彼らのさばきは、自分たちが知っていると思っている数少ない情報に基づくものであり、律法の表面的な解釈に基づくものでした。
しかし今の時代も、ある出来事の背景、経緯、その人の歴史、物事の本質などを度外視して、表面的な誹謗中傷がSNSなどを通じて飛び交うようになっています。まさしく、うわべによって人をさばく時代です。イエスキリストを信じ受け入れている者であっても、決して例外ではありません。
イエスキリストが「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。」(16節)と言われたように、イエスキリストにとっての真の知識は、父なる神様との親しい関係を通して与えられているものです。そしてイエスキリストを信じる者には聖霊が内住し、その聖霊を通して神様から教えられるようになっているのです。常に神様からの語りかけに耳を傾け、霊的なことに洞察が与えられるようになっていきたいと思います。